2014年8月18日月曜日

太宰治『斜陽』の連載が開始しました


太宰治著『斜陽』の連載を始めました。第二次世界大戦後の華族令廃止とともに没落した元華族の一家への哀悼と、女性のしたたかな生命力への期待を描いた太宰治の傑作です。
『斜陽』は、1947年、「新潮」7月号から10月号まで連載され、完結直後に書籍化されるとたちまちベストセラーになりました。戦後まもなく、生家の没落を目の当たりにした著者が、チェホフの「桜の園」と、愛人であった太田静子の日記を素材にして書き上げたものです。
第二次世界大戦後の華族令の廃止により、元華族の一家が没落していく姿を描いた太宰治の傑作です。1947年、文芸誌「新潮」に連載され、同年12月に刊行されるやベストセラーになりました。その作品名から派生した「斜陽族」は流行語になっています。本書は『斜陽』(新潮社、一九四七年一二月一五日発行、日本近代文学館、一九九二年六月一九日復刊)を底本に、巻頭に「ミニ解説」を付け、八雲書店発行「太宰治全集第一四巻」の豊島与志雄による解説も収録しています。2010年の常用漢字改定に照らし合わせ現代仮名遣いへ改めるとともに、常用外漢字にはルビを振り、読みやすくするなど、独自の校訂を行った縦書版電子書籍です。(近日刊行予定)
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私が描いたのは、梅の花と遺書です。作中に梅が何度か出て来て、私にはその梅の姿は作品の雰囲気にぴったりだと感じました。

朝も昼も、夕方も、夜も、梅の花は、溜息の出るほど美しかった。(p37)
春の朝、二三輪の花の咲きほころびた梅の枝に朝日が当たって、その枝にハイデルベルヒの若い学生が、ほっそりと縊れて死んでいたという。(p97)
ママを思うと、泣きたくなる。ママへのおわびのためにも死ぬんだ。(p98)
姉さん。だめだ。さきに行くよ。僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。(p221)
生きていたい人だけは、生きるがよい。人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もある筈です。(p221)
姉さん。僕には、希望の地盤がないんです。さようなら。(p242)





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